印象主義、象徴主義

20170916041120.jpg1870年代、いくつもの偶然が重なって起きたフランスの芸術運動、「印象派」。
1867年のパリ万博博覧会で、初参加の日本が浮世絵などの美術工芸品を出品したところ、ジャポニズムの一大ムーブメントが起き、当時の芸術家たちに強烈なインスピレーションを与えました。それまで、宗教画、神話画、そして歴史画が高く評価されていましたが、浮世絵の自由な平面構成による空間表現、鮮やかな色使いに影響を受けた画家たちは、アトリエを飛び出し、戸外で光のもと、同時代の風景や生活を見たまま表現しようとしました。当時、戸外でカンヴァスを構えている絵描きを見かけることは異例だったようです。土を砕き、油と乾燥剤を調合して絵の具を作る作業も画家たちの制作活動を制限していましたが、その頃開発されたチューブ入りの絵の具によって、戸外での制作活動を加速させました。この画家たちは、後に印象派と呼ばれ、印象派を代表する画家には、モネ、セザンヌ、ルノワール、シスレー、ピサロなどがいます。西洋絵画の歴史を大きく変えることになる印象派グループ展は、その後メンバーなどの変化もありながら、1874年から1886年にかけて8回の集合展を開きました。

同じ時代、「印象主義」と呼ばれる作曲家達が現れます。印象主義を代表する作曲家には、ドビュッシー、サティ、ラヴェルなどがいます。1889年のパリ万博で、ドビュッシーは、ジャワ音楽(ガムラン)に大きな影響を受け、サティは日本の歌謡曲に触れたようです。印象主義の音楽家たちもまた、これまでの形式などにとらわれずに、気分や雰囲気の表現に比重を置いた作品を生み出して行きます。ドビュッシー自身は、印象派の画家達とは別物であり、印象主義よりは象徴主義だと主張していたようですが。

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